大反省会!!!

12月23日
第52回工大祭実行委員会での最後の催し
反省会」
が終わりました。


工大祭自体が終わってからは1ヶ月ほど経ってしまいました。

後片付けもほとんど終わり、最後の催しも終わってしまい、
新幹部も決定し、各役職引継ぎが行われ、
先ほど僕らが夏休み以降に夜通し作業を行っていたプレハブが解体されました。


さっきから昔の事を思い出してはしんみりしてました。


一年生。新入生ガイダンスが終わってから
「委員会に入ってもらいます。これ終わらないと帰れないから(苦笑)」
みたいなこと言われて
「んー・・・とりあえずこれ入っとくかなー。なんか面白そうだし。」
という感じで選んだ工大祭実行委員会。

「企画とか、司会とか、なにかそういう目立つような事をやってみたい。」
高校の頃から変わりたかったがために、企画局を志望しました。
いわゆる大学デビューってやつですねww

最終的に司会兼裏方という非常に微妙なポジションに入ったわけですが、
それでも十分に緊張しましたし、
自分の発言一つ一つ、その後の観客のレスポンスとかも非常に気になりました。
企画が終了して長机に寝転がって、
火照った体と冷たい長机の温度差が心地よかったのも鮮明に覚えています。

「やってやった。」
という満足感というか、そういうのも得ました。
思えばこの頃から少しずつ変わっていったんですかね。


二年生。一年生が入ってきて、ついに自分達が先輩となる時。
どうしようもなく不安だったのを覚えています。
「一年生、着いてきてくれるかな・・・?」
僕の所属していた企画の先輩2人はとてもカリスマ性があったと思います。
それを見せつけられていただけに、それを超えるにはどう振舞えばいいんだろうかとすごく悩みました。

そして新企画を担当する事になったときでもありました。
前例の無い企画を一から立案し、
ゲーム性やタイムスケジュールを詰め、
「これ本当に楽しんでもらえるのかな・・・?」
と何度も物思いにふける日もあったりしました。
何度も何度も企画のテストをして、ルールの穴を見つけては対応し、
そのたびに一年生に渡していた企画書や台本を修正し、
でも一年生たちはそれにきちんと対応してくれました。
それどころか、彼らの側から問題点を指摘したりしてくれました。

第51回工大祭のときも雨だったと記憶しています。
特に準備日は過去10年間で最悪だったと誰かから聞きました。

その非常に酷いレベルの中で、僕は自分の企画の1年生3人をつれて配電作業をしました。
一年生にやらせるのは酷かと思ったのですが、
正直言って「頼れるのが君達しかいなかった」という感じで、
申し訳ない気持ちでいっぱいになりながら作業をお願いしました。

僕の企画(連想ゲームを担当していました)の一年生は
きっと誰よりも泥にまみれて
どの一年生よりも酷な作業を頼まれて
どの一年生よりも遅くまで作業のために残ってくれて
きっと僕の知らないところで愚痴っていた日もあったはずです。
51回工大祭が終わった後にも言ったのだけど、
あの時は、本当にありがとう。

そして連想ゲームを一緒に企画してくれたO氏も本当にありがとう。


そして三年生になりました。
僕らの下に、さらに一年生が加わり、
いつの間にか僕は幹部というポジションになっていて、
それまで「一年生」と思っていた彼らが「二年生」になり、
各局の指示側になりました。

幹部になったとき
「目立ちたくは無いな」
というのが最初の考えでした。
一年生のときとはまるで正反対ですねーw

みんなの見えない影で準備を進め、みんなに花道をつけるという、
なんかそういう影の立役者に憧れていた時期だったからでしょうかね。
そういうわけで、第52回工大祭では
Web管理・広報・夜警・ステージ設計・(あと配電とか)
という感じで役職を兼任させてもらいました。

Web管理としては、委員会で私用するMLやPCの管理、障害への対応などなど。
使用者からすれば「動いて当然」を「当然」にするための作業に徹していました。
でも結果的に何度か動かなかった事があったりw

広報としては、委員会のHP及び広報キャラクターの運営をしていました。
 
 
2月くらいに作ったデザインサンプル(左)と、実際に作ったHP(右)

ほとんど初めて触ったHTMLやCSS他3言語や広報のために使ったツール。
これは今後の人生で大きな糧となる気がします。
そして今年はその広報において、
とにかく「分かりやすさ、使いやすさ」に重点を置いていろいろ考えて動いていました。
HPのデザインも、WindowsPhone等に採用されたModernUIを元に
博多駅のホーム番号の看板とかに使われている環境デザインから引っ張ってきた感じです。

ステージ設計は、野外・体育館ステージや作業に使う2tトラックのレンタル
音響会社への依頼とかが主な仕事でした。
「花道をつける」という今年の目標を一番具現化した役職でした。

そして夜警備。夜間ずっと起きていて異常が無いか監視し続ける役職です。
諸事情あって昼も起きてる時間が多かったです(広報やら配電を兼任していたせいです)。
だから今自信を持っていえるのは、
誰よりも長く工大祭を見ていたんじゃないかなってことです。
他の役職のB氏もかなり長く起きていました。
彼は仕事でなくなんとなく起きていたんですがねw

それから「誰かのアイデアに形を与える」というのが今年考えていたことでした。
例えば「ラジオやりたいんだよね」と言われればプレイヤーとかを準備するし、
「チケット管理で○○みたいな方法だといいとおもうんだー」と言われれば
それを具現したソフトウェアを開発するし、という感じです。

その他、テーマ、Tシャツ、名刺、工大祭のカウントダウンを行うボード等のデザインなども担当させていただきました。

今年ほどそういうクリエイター魂を燃やせた年は他にないな、と思う次第です。


今年一年間、その場を提供してくれた実行委員会や
その開発において働いてくれたノーパソを寄贈してくれた某氏には
本当に感謝しています。ありがとうございました。

そして、一緒に第52回工大祭を創りあげたみんなに感謝です。
僕らならもっと大きな、素晴らしいことが出来るはずです。
今年得た事は社会に出てから、きっとどこかで役立つはずです。
僕らの委員長がそう言うんだから、間違いありません。



いよいよ新しい幹部で、第53回工大祭が動き出そうとしています。

僕らの代が伝説的過ぎて超えられないかもしれないけど(ぇ

すごく期待しています。

頑張ってどこよりもすごい工大祭を創ってくださいね。

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